令和7年4月、下甑手打診療所に、鹿島町出身の医師が着任した。
将来、甑島で働く医療従事者を対象にした市の奨学金制度を利用して、東京からUターン。
今回は下甑手打診療所で島民のために奮闘する医師の思いに寄り添う。
甑島の医療を支える仕事に
令和7年4月に、下甑手打診療所に着任した橋野医師。診療所での診療の他、出張診療を行うなど忙しい毎日を送っている。
医師になるきっかけは、中学2年生の時の出来事だった。近所に住む小さい頃からかわいがってくれたおじさんが急病で倒れ、搬送先の病院で亡くなった。もう少し早く処置ができていれば助かった可能性もあると知り、甑島の人たちを支える仕事がしたいと医師を目指した。
医師になるまでは勉強が大変だったと話すが、勉強の他にも、部活や実習など多忙な学生生活を送っていたという。大学卒業後は、沖縄と東京の病院で研さんを積んだ。
甑島の医療の戦力に
橋野医師の専門は救急科。
2年間の初期臨床研修では、さまざまな診療科を回り、経験を重ねる。その中でも、救急科を選んだ理由の1つには、「甑島の医療」があった。「甑島には大きな病院がないので、島内で治療を完結する必要がある。救急科でも、患者さんの状態に合わせてすぐ処置を行わなければいけないので、ここで診療するときに役に立つと思った」と話す。着任するまで、沖縄、東京などで数多くの症例を経験してきた。「甑島の診療所では多くの制限がある。大きな病院で経験を重ね、ある程度の力を身に付けてから、戻ろうと思っていた」と今回のタイミングでの着任となったことも教えてくれた。
離島ならではの医療
下甑手打診療所に着任して丸1年。本土の病院と離島での診療の難しさは資源に限りがあることだという。「離島の診療所では、医療従事者の人材確保や、使用できる医療器具に限りがある。大きな病院のように薬や医療器具などを次々と使用できないので、今できること、今あるもので、いかに効率よく使用できるか考えながら診療している」と話す。一方で、「これまで経験したことのない症例に向き合うこともあるが、先輩医師やこれまで出会った同僚にアドバイスをもらい、日々勉強になって楽しい」と言う。
また、地域の人々、患者さんとの距離が近いことも甑島の特徴のようだ。「散歩や買い物に行くと、患者さんに会うことがある。『この薬が良かったよ』『この前より良くなったよ』などと声を掛けてくれる」と、地域の方々がより身近な存在で、生活に寄り添う診療をする必要があると感じるそうだ。
甑島への思い
15歳で島立ちし、甑島を離れた。思い出は、海で遊んだこと、トシドンで泣いたことなど、日常生活の1場面だ。当時、甑島を離れる寂しさよりも、本土に行ける楽しみの方が強かったという。しかし、一度島を離れた今、橋野医師にとって甑島は「帰れる場所」になっていると話す。「行き詰まったとき、帰れる場所があると思うと頑張れた。これから島立ちする子どもたちもそれを忘れずに頑張ってほしい」とエールを送る。「フットワーク軽く、気概のある医師になりたい」と橋野医師は地域の人々に寄り添った診療を続けていく。

「人のとなりに」とは...
文字通り、その人の隣にいて、思いに寄り添うことや人柄を表す言葉「人となり」をイメージしたコーナーで、人物や活動の紹介だけでなく、その人の思いにスポットを当てることを目的としています。