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人のとなりに 2026年10月05日更新
人のとなりに

人のとなりに 久見崎盆踊り「想夫恋」保存会会長 森満 幸守(もりみつ ゆきもり)さん

# 歴史 # 文化
人のとなりに 久見崎盆踊り「想夫恋」保存会会長 森満 幸守(もりみつ ゆきもり)さん

約400年の時を超え、人々の祈りとともに受け継がれてきた久見崎盆踊り「想夫恋」。

今回は、この伝統芸能の継承に尽力する保存会会長の思いに寄り添う。

「人のとなりに」とは・・・

文字通り、その人の隣にいて、思いに寄り添うことや人柄を表す言葉「人となり」をイメージしたコーナーで、人物や活動の紹介だけでなく、その人の思いにスポットを当てることを目的としています。

久見崎盆踊り「想夫恋」

1597(慶長(けいちょう)2)年、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、島津義弘(しまづよしひろ)率いる約1万人の兵が薩摩の軍港・久見崎から出航。翌年、秀吉の死により軍は撤退したものの、多くの兵士が戦死。

久見崎盆踊り「想夫恋」は、戦死者の霊を慰めるため、久見崎に残された夫を亡くした女性たちが踊ったことに由来する伝統芸能。三味線と太鼓の音色に合わせて輪を作り、ゆったりとした所作で舞う踊り。

1971(昭和46)年、鹿児島県無形民俗文化財に指定。

新型コロナウイルス感染症により、活動が休止されていたが、令和7年11月23日、6年ぶりの復活を遂げた。

地域の声を受けて

令和6年、地域住民からの推薦で、保存会会長に就任した森満さん。それまで副会長として活動に携わってきたものの、コロナ禍による活動休止を経て、保存会には大きな課題が残されていた。「何もかもゼロからのスタート。不安な気持ちが大きかった」と当時を振り返る。

そんな中、森満さんのもとに地域から「想夫恋を何とか残してほしい」という声が届いた。幼い頃から当たり前のように見てきた想夫恋。地域の声に加え、「自分が会長になった今、このまま途絶えさせるわけにはいかない」といった思いが、森満さんを動かした。

6年ぶりの復活へ

想夫恋の継承には、人口減少や高齢化による担い手不足が課題にあった。さらに、想夫恋は本来、女性のみで受け継がれてきた伝統芸能。限られた担い手だけで、再び活動を軌道に乗せることは容易ではなかった。

そこで森満さんがまず取り組んだのが、自らが担い手になることであった。これまで女性が中心となって受け継いできた伝統芸能に男性である自分が加わることに、戸惑いもあったという。それでも「やる気があれば男性がやってもいい」と周囲に背中を押され、挑戦を決意した。地元の三味線の先生の元へ通い、弾き方を一から習った。

さらに新たな担い手を集めることにも奔走。市の「さつませんだいスマイル応援隊事業」を活用し、地域内外からも協力者を募った。男性からの申し込みもあり、参加を受け入れるなど「どうすれば続けられるか」を考えながら、一つ一つ方法を探っていった。

伝承の思いを次の世代へ

令和7年11月23日。6年間途絶えていた想夫恋が、再び久見崎の地で披露された。本来、想夫恋はお盆の時期に披露される。しかし、近年の猛暑による熱中症のリスクを考慮し、11月の開催となった。

開催時期を変え、参加者の枠を広げる。伝統を守るために、これまでとは異なる形を選択した。6年ぶりに披露された想夫恋の光景を目にした森満さんは、さまざまな思いが込み上げたという。「想夫恋の魅力は、一つ一つの踊りや所作に意味が込められているところ。当時の女性たちは、戦死した夫や家族を思い、祈りを込めて踊っていたことが伝わってきた」という。

「形は変わっても、伝承したいという思いは変わらない。想夫恋に込められた先人たちの思いを大切にしながら、後世へつないでいきたい」と強い思いを語り、今年も11月23日の披露に向けて準備を進めている。

当日披露された久見崎盆踊り「想夫恋」の様子

久見崎盆踊り「想夫恋」は市公式YouTubeでもご覧いただけます。

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