令和7年10月に開催されたプロ野球12球団による新人選手の指名会議(ドラフト会議)で、本市の高校生が指名された。今回は、彼のこれまでの野球人生とこれからプロ野球選手として踏み出す思いに寄り添う。
「伊藤大晟」。テレビから名前が呼ばれると、会場は大歓声に包まれた。
れいめい高等学校3年生の伊藤大晟さんは、令和7年10月23日に東京都で開催されたドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから5位指名された。中継を見る表情は、緊張した様子だったが、名前が呼ばれると大分県から駆け付けた両親、監督らと握手や抱擁を交わした。その後の会見で、「緊張したけど、素直にうれしい。これまで関わってくれた全ての人に感謝したい」と興奮した面持ちで語った。共に高校時代を過ごしたチームメイトによる胴上げが行われ、みんなで指名を喜んだ。
父と始めた野球
「小学4年生の時、父が監督を務める少年団の体験に行ったことが野球を始めるきっかけだった」と話す。野球を始めた当初からピッチャーを主に、外野手なども経験してきたが、「三振を取ったときの爽快感が好きだから」とピッチャーを選んだ理由を教えてくれた。父と一緒に野球をする中で、‟お前がエースだ”と言われたことが印象に残っていると言い、エースとしての自覚を持ちチームをけん引した。中学時代は、地元のクラブチームに入部。球速は134キロを記録し、九州選抜に選出されるなど活躍した。
仲間と共に
「中学校の先輩と一緒に野球がしたくて、練習を見学したら雰囲気が良かった」と親元を離れ、大分県から本市のれいめい高等学校に進学。甲子園出場を目指して練習に励んだ。馬力のあるストレートとキレのあるスライダーを武器に1年生の秋からベンチ入りし、秋季九州大会に出場。2年生になると、球速は147キロを記録した。これがプロを目指すきっかけとなったという。練習では筋力向上のために走り込みを重点的に行った。また、指導者からピッチングの考え方や配球を教えてもらったことで視野が広がり、球速アップにつながった。
3年生となりエースナンバーを背負い最後の大会に臨む直前の練習試合で、顔に打球が当たり手術を受けた。リハビリやトレーニングを行う中で、練習や試合ができず焦りや不安もあったが、チームメイトや指導者の声掛けが頑張るモチベーションとなったと話す。そしてれいめい高等学校は、夏の県選手権大会で45年ぶりの決勝戦進出。惜しくも甲子園出場は叶わなかったが、これが高校時代で最も思い出に残った試合になったという。
夢の舞台へ
令和7年12月5日に、宮城県で行われた入団会見に出席した。背番号は79番。「たくさんの方に支えられてここまで来ることができた。まだスタートラインに立ったばかり。小さい頃から憧れる松井裕樹選手のように、みんなに夢を与えられる選手になりたい。応援よろしくお願いします」と話す。
これからの抱負と感謝の気持ちを胸に薩摩川内市から仙台市(宮城県)で、夢であったプロ野球選手としての道を1歩踏み出す。

「人のとなりに」とは...
文字通り、その人の隣にいて、思いに寄り添うことや人柄を表す言葉「人となり」をイメージしたコーナーで、人物や活動の紹介だけでなく、その人の思いにスポットを当てることを目的としています。